「うじうじ考える」からの「ポジティブシンキング」!

先週は、ちょっとしたきっかけで気持ちがずいぶんと落ち込んでしまった。
実に孤独を感じて、何をしても楽しくなかったし、意味もなく泣きそうになって「これはプチ鬱じゃないか?」と思ったり。
そんな状態の時に縋れる・頼れる存在というのが私にはとても少ない。


この間、増田にこんな日記があった。

私は友人がいない。
まったくゼロという訳ではないと思いたいが、実質ゼロだ。…
私は友人がいない。 まったくゼロという訳ではないと思いたいが、実質ゼロ..

大いに同調した。


その前後で、こんなツイートがふぁぼランキングに入っていた。

【重要なおしらせ】年上のひとはかわいがってくれるし年下のひとは気を遣ってくれるので付き合い易いのは当たり前です。同級生に友だちがいないひとの大半は人間関係を構築する努力を怠り、めんどくさいことから逃げたひとです。そういったひとは共通して「わかってもらえない自分」をアピールします。
御茶ノ水 on Twitter: "【重要なおしらせ】年上のひとはかわいがってくれるし年下のひとは気を遣ってくれるので付き合い易いのは当たり前です。同級生に友だちがいないひとの大半は人間関係を構築する努力を怠り、めんどくさいことから逃げたひとです。そういったひとは共通して「わかってもらえない自分」をアピールします。"

これも、ふむ、と肯ける意見だった。と言うか、否定出来ない、と思った。人付き合いの途中でめんどくさいと思ってしまうことがある。


ただ、しばらくこの2つを見ていたら、「いや、ちょっと待てよ?」と思い始めた。


「実質、友人がゼロ」なのだそうだ。一人で過ごす時間はとても長いんだそうだ。うん、確かにそれってそう考えると寂しいんだ。
けど、時間を自分のためだけに使えるって、案外すごいことじゃないだろうか。誰のためでもない、ただ自分のためだけに時間を使えるんだ。
ポジティブに考えてみたらそう思えた。
もちろん、たとえば友だちの誕生日プレゼントを選ぶ時間だったり、そういう友だちのために過ごす時間が人間として大切なことは分かる。
けど、ポジティブシンキング出来ることってこんな身近にあるんだなって気付かされた。


そして、もうひとつのツイートの件。一読した時には「痛ったいオコトバだなぁ〜」って苦笑いしたものだ。確かに自分も、年上の方には可愛がっていただくことが多く、年下には慕ってもらえることもあるのに、同年代の友だちというのは皆無。そんな自分からしたら、このツイートは「同年代の友だちが多い=人として出来てる」って風に読めてしまっていた。逆に言えば「同年代の友だちがいない=人として終わってる」みたいな。
でも、ですよ?もう1回しばらくこのツイートを読んでいたら、そうじゃないなーと思ったんです。
「同級生の友だち」は多いのに、「年上の方」には眉をひそめられたり、「年下の子」には煙たがられてたり、という人たちってのはいる。そういう人も実は「人間関係を構築する努力を怠り、めんどくさいことから逃げたひと」で、「共通して「わかってもらえない自分」をアピール」してる人ではないかなぁ?この内容って、実はかなり汎用性が高いのかな?と思ったり。


とまぁ、こんなことをつらつら考えてポジティブに見直してみたりしていたら、鬱っぽい感覚がだいぶ軽減されて、今はほとんど回復したよってことです(笑)
考えるって偉大だなぁー。





ご心配をおかけした皆様、ありがとうございました!!






内容とは全然関係ないけど、

MacBook Air 11インチ欲しい!これ普通に本当にほしいですw