携帯メールの罪

ケータイメールが奪ういくつかの大切なこと (1/3) - ITmedia NEWS
携帯電話のメールはその特性から、「常に誰かとつながっている」というこれまでになかった状態を生み出した。確かに便利ではあるが、その便利さの代償となるものはなにか。
(中略)
 しかし今の中学生は、通学中だろうが家に居ようが、場所と時間に関わりなく、常にメールで誰かと繋がっている。物理的制約によって関係が途絶えるということがないため、ひとたび人間関係でトラブルが起これば、クールダウンする余裕もなく、いつまでもそれを抱え続けることになる。
(後略)

「携帯メールの功罪」ではなく「罪」の部分にスポットを当てた記事。2ページ目の上記引用部分にはなるほどと頷く部分があります。
自分自身、携帯メールは携帯で一番使う機能です。常に新着のメールを気にしてしまう、携帯メール依存症だという自覚もあります。
携帯メール依存症にも、レベルと言うか種類があるように思います。自分はとにかく人からのメールを受けるのが好きです。人が自分に関心を向けてくれていることを如実に感じられるからでしょう。たとえ片手間のメールだとしても、メールの文字を打つ間、相手は自分のことを考えている。それは間違いないから、繋がっているという感触を得ることが出来る。かと言って、自分の返信が速いかと言えば決してそうではないのです。自分は、考えて返事を打つのが好き。相手が喜ぶ言葉を選んだり相手に真摯に返答できるツールとしての送信メールが好きなんです。
けれど、人によっては受信すると即返信しないと気が済まないという人もいます。即返信してもらわないと気が済まないという人も。即返信できないと機嫌が悪くなられたりすると、こちらも合わせてしまう。そんな一握りの人のために、メールスパイラルに巻き込まれている気弱な人間というのも確実に存在しますよね。